何かの説明をいたしますときに、こうですと、架空の話はできません。
必ずその話にあうような、実例が必要です。
そもそも、干支九星の場合には作り話はできないのです。
それに、例えば先祖の因縁を調べる、というような話をしますときに、架空の話を持ってきますと、たたかれます。
どうしてかといいますと、それは天の機密を勝手に話すことになるからです。
しかし人様を救うという名目、すなわち実例があるならば、話は違います。
むやみにしてはしけない話をいたしますと、トガをうけ短命になります。
前知らせの形
私たちの仕事は、前もって何事かを知ることです。
そのために占いをするわけですが、その前もっての出方がいろいろあります。
日本において、一番わかりやすいのは、神仏のお使いでしょう。
神仏のお使いが出てきた場合には、文字通りその神仏の御意思として捉えます。
一般的な場合には、それは易なら易で、九星なら九星でとらえます。
九星は易に基づいておりますから、両者違いはないのですが、唯一、九星には五黄がありますので、それは注意です。
それによって、細かいことを判断していきます。
ジャングルに入ったか
いくつかの道具があって、少しだけ手順がわかって、その後は自分でやりなさいと言われたら、確かにジャングルに入ったような気になるでしょう。
この言葉は、命を研究されたある先人の言葉ですが、命を見ること一つをとっても、圧倒的な実例が押し寄せますので、それに対抗できる道具が不備だと、何ともはがゆいものです。
また自分のふがいなさに、ひしがれるものです。
干支九星は命も含めて、望月先生がほぼ一代で極めた部分が多く、私たちは、ジャングル全体を、多少なりとも俯瞰してみることができます。
しかしそれに甘えず、もう少し明確な地図を作りたいと考えています。
理論通りにはいかない
鑑定をしているときは言うまでもなく、方位をとる場合、理解できない部分がたくさんあります。
『郭氏元経』という教科書があるではないか、という意見は絶対ではありません。
そもそも元経は、無理をして9×9=81章にしてありますし、時代も違います。
今のように、忙しく時代が動いている時代ではなくて、古代の時間であれば、おそらく正しいものであるでしょう。
しかしながら現在の、しかも日本において元経が通用すると、誰が決めたのでしょう。
当時なかった様々な要素を組み入れ、実証し、そして確認をしたうえで、初めて方位が取れるものだと思います。
またしても三合の日
明日は、今月で三合で訪れる最後の日です。 これを利用しないことはありません。
仏教でよく言われるのが、正五九のお参りです。
正五九を使いなさいという話を、理解しやすいように、正五九のお参りと言い始めました。
要するに、正五九月の三回、信仰しているご神仏にお参りしましょうという話です。
ここでも正五九という言葉が使われ、正月、五月、九月とうい三合の形という教えがあります。
ですから私たちも、どんどん三合を使えばいいと思いますし、そういうことは、先人が私たちに残してくれた重要なことがらです。