鑑定を拝見したりする場合、この人は位負けをしているという盤があります。
自分の実力以上のことをしてしまうパターンや、今までに手にしたことのないお金をもってしまったためにムダにしてしまうパターンとか、様々な形があります。
そういう人が開運するのは、自分を低くして人の意見を聞くようにするか、運気が悪くなってきたときにしっぺ返しを食らってわかるか、です。
ただ年齢が上になってから位負けすると、誰からも相手にされずに孤独になります。
反対意見を聞く
この仕事をしておりますと、様々な考えの人がいることに気が付きます。
少しでも謙虚になってこちらの意見を入れてくれるならば、変化していく可能性があるのに、それができず、そのままでおられる方もよく見られます。
自分とは違った考え方を受け入れて、そして開運するのが近道の事が多いのです。
ところが、これは鑑定をする者にも当てはまり、頭から自分の意見を押し付けたり、自分と違う考えを否定したりしますと、相手様の開運ができないことになるだけでなく、結局は自分も上がれません。
他の所で秘伝
先生の講義を聞かれた人ならわかりますが、本当に深い箇所を話され、かつ実占ができるようにされておりました。
その全部を話されることは多くなかったかもしれませんが、入り口だけでも衝撃あるものでした。
ですから、私たちのように先生から教えていただいて、そのほんの入り口だけでも今の方に話をしますと、他の先生の所なら秘伝ばかりですね、と話されます。
偉ぶっているのではありません。
先生の持っているものは、それほどのものだったのです。
ころんでもたたでは
先生から学んだ内容は、確かに干支九星が中止ではありますが、それだけではありません。
あまりありませんが、仮に転んだとしますと、普通の人は「転んでしまって大変だ」「どうして転んだのだろう」「これから先どうしよう」などと、様々に考えます。
ところが先生は、転んだことも吉にしてしまおうと努力をされます。
いろいろな発想をして、転んでよかったとなるような行動をするのです。
これこそが開運の極意であろうと、学ばせていただきました。
神あり神なし
四盤掛けの鑑定盤で、先生はよく、「この盤は神あり」とか「この盤は神なし」と話されておりました。
私たちが神と聞くと、神様のことを想像してしまいますが、この場合には意味が違うようです。
鑑定盤には必ず易神が介在している、と考えるのは間違いではないでしょう。
とすると、盤に神ありとか神なしとかいうのはどういうことなのか。
それを考えるには、古代の戦を考えるといいかもしれません。
大将が、その軍をどうしたいのか、それをいつ決定するのか、というプロセスに近い気がします。