干支九星術のお話

望月治先生の広められた干支九星のあれこれを、沙門慶仁がお話しいたします。干支九星術 沙門堂(月恩会)参照のこと。

命を見る場合の九星と干支

 命を見る場合、四柱推命ですと干支のみを使用します。
 それに対して干支九星ですと、干支だけでなくて九星を使用します。
 干支でわからないから、九星を足して補完しているのではないか、という根本的な質問が出るかもしれませんが、それは全く違います。
 両者は全く別ではありませんが、別の本性を見るのに適しています。
 他の占術でもそうですが、何をもって正当とするか。
 秘伝があるから正当ではありません。授業料が高いから正当ではありません。
 実際にどれだけの実例と合致できるか、という点からみて正当性は保証されます。
 干支と九星を使ってどこまで見られるか、最後は実占で見極めるしかありません。

家相と宗教の間

 家相はたくさんの本が出ていますので、学ぼうと思えば、比較的すぐに学べます。
 乾には何を作るべきだとか、南は何を置くべきだとか。
 少し専門の家相書になりますと、長男はどこに部屋を作るべきだとか、両親はどこに寝るべきだとかが書いてあります。
 このお盆の時期、どうしても目に付くのが仏壇です。
 仏壇は、中国の儒教道教の影響がありますので、先祖を大切にする中国でも関心の的です。
 ところが、中国式の神像などを祀ることは、現実的に難しいです。
 とするとどうなるか。
 日本には日本の家相があり、そこで仏壇とその中の問題が影響してきます。
 見事な因果関係を見ることもできます。

お盆の時期

 今日から旧暦ではお盆になります。
 一番暑い時期ですので、お盆休みという言葉があるように、都会から離れるのが通例ですと多いです。
 今年はコロナの影響で、そうはいきませんが、それでも田舎に帰る人はおられるでしょう。
 お盆というのは、先祖供養の日とも言えます。
 そういう意味では重要な時期あり、本来でしたならば、必ず帰郷して墓参りをする時期です。
 占いにおいても、特殊な形になりますと、先祖供養をされていないという鑑定盤を見ることがあります。
 どうも、先祖供養というのは、人間の運命への影響が大きいもののようです。

二種類の易者

 私たちには信念があります。
 それぞれ、易であろうと、四柱推命であろうと、人相であろうと、すべて他人をよくしようという気持ちが根底にあるはずであるという信念です。
 様々な分野でご活躍されている易者さん、占い師さん、それぞれ違いますが、どんなルートをたどろうと、最後は人様のためになることをしているという信念です。
 それがないならば、すでに易者ではなく、どんな占術であっても、「売卜者」と呼ばれるべき人です。
 そういう易者さんに当たってしまった人は不幸です。
 腕のいい売卜者よりも、未熟な易者に当たった人の方が、最後の勝利者となります。

鑑定や講習会でお金をいただく理由

 占術が他者のためならば、お金をとるべきではないと理屈を言う人がまれにいます。
 それには、易者にも生活があるとうい以外で、次のような理由があります。
 まず、鑑定を仮に無料でしますと、ほとんどの人はアドバイスを実行しません。
 結果的に、ご自分の運気を変えることができず、他者のためになっていません。
 このように、鑑定の場合には、お客さんのためにお金をいただきます。
 講習会の場合には、自分のためにいただきます。
 新説は言うまでもなく、仮にそれが新説ではなくても、易一般の説というのは、世俗世界に影響を及ぼす天の言葉であり、天の秘密です。
 それを無料でなど広めますと、天からのトガを受けるだけでなく、次からは天はその人に秘密を伝える扉を閉めてしまいます。
 こんな基本を知らない占い師さんがいると聞き、愕然としています。

お客を前に考える時間

 占い師さんたちは、お客さんを前にして、どれだけ時間をとれるでしょうか。
 時間で料金が変わる体系の場合ですと、なるべく早く答えを出すのが礼儀、と考えるのが人情かもしれません。
 プラスとマイナスがはっきりしている場合には、そう難しく考えなくても答えがでることが多いです。
 しかし内容が複雑であったり、こちらが不利の場合にはそうはいきません。
 その時には、全神経を使って打開策を考えます。そんなときには、どれくらい時間がかかるかわかりません。時間のことなどを考えている余裕はありません。
 そういう易者には、時間制に慣れているお客さんは来ませんし、沈黙の時間が流れます。
 このスタイルは、易者を名乗る限り、どうあっても変えられません。

古い紙に思う

 日本には老舗があります。
 そのうち、ある紙屋さんは、数百年前の紙も所有していて、売ってくれるそうです。
 それだけの値打ちがありますので、高価なのでしょうが、驚きものです。
 現在、私たちが情報を記録するには、パソコンのハードディスクとか、メモリースティックとかあるでしょうが、本当にそれでいいのか疑問です。
 やはり長く残ってきた、和紙に墨で書いたものが一番信用できるという人もいます。
 実は易などについても同様で、霊感が知るとか、何だとかかんだとか、それは便利で正しいかもしれませんが、一番長く続いている易経が一番信頼できるという立場を、愚直に守っています。
 急激に来たものは、速やかに去る、というのが道理だからです。