干支九星術のお話

望月治先生の広められた干支九星のあれこれを、沙門慶仁がお話しいたします。干支九星術 沙門堂(月恩会)参照のこと。

必要に応じて話すこと

 いつもいつもするわけではありません。
 というよりむしろ、しない方が圧倒的に多いです。
 しかしどうしても、話をしなくてはいけない時があります。
 おそらく人間の存在というか、世界というものはそういうものなのでしょう。
 見えないことがら、霊に関する事柄は、本来なるべくさけるようにしております。
 ただここが開運のキモというときには、積極的にお話をさせていただいております。
 嘘の話で脅かすなど最低ですが、これが必要というときには、ためらいません。

努力という言葉

 努力という言葉が大嫌いでした。
 人間だから、なすべきことをだすだけ、という考えだったからです。
 あえて努力などといわなくても、いいという思いでした。
 しかし実際に人様を拝見しておりますと、努力という名前以下のことでさえしていないのを感じます。
 そんなことでは何も身につかないでしょう。
 あるいは、運命を変えることはできないでしょう。
 もちろん何に対して努力するか、何を行うかを間違えば、なかなかゴールへは迎えません。
 そういう意味で、指導者は大切です。

当てるというのは

 本当に、当てるのは難しいです。
 で、当てるとことの定義も難しいです。
 まず神のように当てるのは、難しいというより無理です。
 そこまでいかなくても、大体このくらいの範囲で当てていればいい、という設定を我々は頭の中でしています。
 それに近い結果をお伝えして、実際にそうであった場合には当たりとします。
 ただ時々、昔のことを当ててみろ、という人がいますが、それはできません。
 それは、その占術と占者をバカにしているものだからです。

危険すぎる合理性

 現在人は、当たり前のように合理性を求めます。
 その姿勢に異議はなく、むしろ賛同するのですが、どうしても許せない合理性があります。
 それが、先祖供養に関する合理性です。
 先祖様を供養する場合に、今まで何となく不自由に感じていたことを、合理性という名のもとに、どんどん切り捨て、あるいは縮小させています。
 これは恐ろしい結果を招くと思われます。
 今日お聞きしたのは、関西の事例ですが、関西人は信仰に厚いといわれている地方です。
 一体日本はどうなってしまうのでしょう。

自分を進ませる

 自分が解決できる範囲でのお客さんが来る、と言われることがあります。
 それは技術的にということもあるでしょうが、それだけではありません。
 お話の内容を理解できること、特にお客さんの気持ちが理解できることも含むと思われます。
 そのためには、自分の生活を今までと同じように過ごしていてはいけないのです。
 何かしらか、ほんの少しでも自分を進ませようとしなくては、同じことの繰り返しです。
 技術ではない、何かを進ませるようにすべきです。

位負けの形

 鑑定を拝見したりする場合、この人は位負けをしているという盤があります。
 自分の実力以上のことをしてしまうパターンや、今までに手にしたことのないお金をもってしまったためにムダにしてしまうパターンとか、様々な形があります。
 そういう人が開運するのは、自分を低くして人の意見を聞くようにするか、運気が悪くなってきたときにしっぺ返しを食らってわかるか、です。
 ただ年齢が上になってから位負けすると、誰からも相手にされずに孤独になります。

反対意見を聞く

 この仕事をしておりますと、様々な考えの人がいることに気が付きます。
 少しでも謙虚になってこちらの意見を入れてくれるならば、変化していく可能性があるのに、それができず、そのままでおられる方もよく見られます。
 自分とは違った考え方を受け入れて、そして開運するのが近道の事が多いのです。
 ところが、これは鑑定をする者にも当てはまり、頭から自分の意見を押し付けたり、自分と違う考えを否定したりしますと、相手様の開運ができないことになるだけでなく、結局は自分も上がれません。