最近ではずいぶん緩和されましたが、外出の規制や、マスクの着用など、いろいろな足かせが残っています。
今年、どうしてコロナが起きて、リモートやらステイホームのことが起きたのかを考えてみました。
といいますのは、私たちは家にいることによって何をするかといいますと、自己と向き合います。
自己の内面と向き合い、自分の不足やら、改善点やら、トラウマやら、思索やら、いろいろなことを学ぶことができました。あるいはできています。
その一つの答えが、今年が子の年であるということもあります。
しかも宗教ではなく宗教的に思うようになったのは、7赤年であったことでもあります。
日本だけに限れば、元号が変わったこともあると思われます。
今月の運
令和2年9月は、先月の三合の月からは全般的に落ち着いた運になります。
総理が変わることもあって、民衆が政治に関心を持ちます。
さらに、継承されていくことがらも多く、ひっそりと、口から口へと伝わることもあるでしょう。
こういう時期には、エゴを出す人間はマイナスになります。
あくまでも謙虚に生きていかないと、大切な事柄に問題が生じます。
それは新規事業でも同じことで、熟考してからでないと、だれも理解してついてきてくれません。
それは連絡不足という形でも顕れ、基本的なスタンスを問われることになりかねず、あわてては絶対にいけません。
福運は自分の心持にあり、と心得るべきでしょう。
独立した心を
鑑定をさせていただいていて、相手の話に飲まれることがあります。
本来の答えではなくて、相手様に有利な話として解釈してしまうことです。
この時には、間違います。
相手に有利に判断するというのは、相手にプラスとは必ずしもなるとはいえないのです。
ですから、俗的な心ではなくて、相手の話に左右されない、独立した心を持つ必要があります。
これがないと、最後には相手様も不幸になってしまいます。
ある種、冷たい心のように思えますので、つらいかもしれませんが、大きく息を吸って乗り込んでいこうと思います。
星座による毎日の運気
ちらっとテレビを見ていましたら、昔からやっているのですが、〇〇座の人は今日は運勢というのを放送していました。
昔も確か、西洋占星術による星座だったように思いますが、変わっていません。
しかしすべて見たわけではありませんが、九星による毎日の運気はないように思います。
この九星による運勢がわかったならば、相当な確率で毎日の運気が出せるでしょう。
まあテレビは遊び感覚なのでしょうから、本気で見ている人もいないでしょう。
私たちは、干支九星をやっていますから、毎日の運気の相当なことまで前もって知ることができます。
ですから、交渉事などは、特に有効に物事を運べますし、失敗の少ない人生を歩むことができます。
叱ってくれる
易占だけではなく、どの分野でよい先生とは叱ってくれる先生です。
そういう先生はなかなかいません。
どうしてかというと、性格のゆがみやら、判断の癖やら、叱ってもらわないとわからないからです。
客に向かったときに、どういう心持が必要なのか、どう語るのか、どう生きるかなどは、実際にやった人でないとわかりません。
実占をしないのなら、まず実力はつきません。
単なるお遊びか、机上の空論の勉強です。
そして実占を始めた上で、更に修正が必要となります。
本当にありがたい先生か、そうでないか、わからない人が多いのに驚きます。
同会と被同会
九星でいうところの、同会と被同会とうい考え方は、非常に深いものがあります。
片方は、自分が乗る方であり、片方は自分が乗られる方です。
どちらも他者との関係を考える場合に、避けることができません。
年月盤を考えた場合には、自分の星を年から月へ、あるいは月から年へとかけまして、自分にその月に起きることがらを予測します。
1白から9紫の星がありますから、それぞれ、自分で見ることができます。
そこには、暗剣や破れやらがかかわりますので、吉凶の事柄も出て参ります。
この同会と被同会は、鑑定でも使えます。
それを複雑にしたものが初免法です。
雲や太陽を見る
九月に入ってもまだ暑い日々が続きますが、つい空を見上げてしまいます。
そこにあるのは空ですが、一番わかりますい変化は雲です。
雲を見ておりますと、何かしらか教えてくれているように思えます。
その雲の変化は現在、干支九星で計算できる範疇を超えています。
いわばイレギュラーな変化です。
そこに関係するのは、風水のうちの風です。
ですから、雲を見るのは、風を見ることになります。
高い山がある近くでは、雲がすぐ変化します。
その山の影響力が大きいわけです。
さらにそこに太陽がかかわります。
太陽は日本では神としてあがめられました。
そう考えると、自然の中に身を置いて、干支九星の勉強をする必要も感じます。