私たちが勉強をする場合に、もし中国古典が典拠であるならば、原典を読むのが第一です。
もちろん、日本語で書かれている解説書などからでもいいでしょうし、その方が楽です。
つい私たちは技術とか、占法とかに目が行きがちですが、大事なのは、そこに哲学があるかどうかを見ることです。
それから実際に、当たるかどうかの検証になります。
ある意味、原典になくても当たればいいという考えもあり、私たちの基盤は、どこから始まっても同じはずです。
すなわち、当たることがわかってから原典に戻るということもあります。
ある場合には、すなわち原典で完成している占術でなければ、進化する可能性が残されているということでもあります。
占術が、世間で広く認められている学問と違う点は、こういうあやふやな複雑さにあるのでしょう。