他界されて数年になる師、望月先生のことは、先生を存じ上げる方々の間では語り草となっております。
易者として一流だったというだけでなく、その言動、教え、慈悲心、そのすべてにおいて巨大だったからです。
私たちは、その一部に触れて、ああいうこともあった、こういうこともあった、と話し合って、再度師の巨大さを確認し合っているのです。
師がどんな方であったかを述べることはできません。
ある方にとってはごつごつした柱のようなものであり、またある方にとっては細長いひものようなものであります。
すなわち、巨大な像の、自分の触れる目の前の部分のみでもって、話しているに過ぎず、その全体を述べることはできないのです。