私たちは、あまりにも大雑把にとらえすぎています。
たとえば、一人の人間の著作を読んだときに、この人の意見すべてそうだと信じてしまいます。
自分の人生を考えていただいても、それはおかしなことです。
人間というのは一生のうち、どれだけ思想が変わることか。
それを思えば、一人の人に多数の意見があっても不思議ではありません。
同様に、〇〇流が全く同じ形で伝承されているとしたら大間違いです。
途中で途絶えていることだってあります。
この世界の勉強法
この分野を勉強する場合、普通の勉強の仕方ではだめです。
まず理解することから始めますが、本当に理解できていなければ覚えられません。
わかりましたというのは、どんな時でも引き出しから出せる状態をいいますので、ただ単に理解できた、だけではだめです。
そのためには、何度も繰り返す必要があります。
さらに、実例を含めて自分で実証して正しいことを確認します。
その上で、時間をかけて、脳に定着するように繰り返してしみこませます。
方位で忘れがちなこと
私たちは方位を重要視します。
時期と方位です。
吉凶は、動くことによって生じるというのが基本ですので、当然の思想です。
とはいえ、方位を取るのには、その根拠となるものが必要です。
そう、どこから動くかということです。
私たちはつい、東から西へ行くとか、南から北へ行くという表現をいたしますが、本当はそうではありません。
今いる所から西とか北とかに行くのです。
ですから本当は、中心から動くというのが正しいのです。
さらっと書いてある
先生の本を読んでおりますと、いままで見たことないようなことが、時々さらっと書いてあります。
一体何事かと頭をひねるのですが、そういう箇所は要注意です。
全く新しい秘伝のようなものが、書いてあるのかもしれません。
そいう箇所を見つけましたら、実証してみるべきで、うまくいくならばそれは大切に使うべきです。
ただしその説が、本当にどう扱うべきなのか探ってられる場合もあります。
そのためにこちらも勉強が必要です。
現代の事象ではない
人間は表面だけを見ていては、本質がわかりません。
一緒になって暮らしてみて、わかることも多いです。
いやもしかして、晩年になってもわからないことがあるのかもしれません。
だからこそ、結婚などの場合には、最初に同棲してみて相手を知ってから結婚するのがいい、という風潮なのだそうです。
それが合理的のようにも思えますが、同棲した段階で結婚した事象は生じます。
現代人と古代人の、考え方の相違がそのまま出るということでしょう。
細かな箇所
易に神がおられて、それを易神と呼ぶのでしたら、易神は非常に微細であることがあります。
一つのことを拝見しようとして、その最初の情報にどれだけのものが含まれているかを、易神はご存知のようです。
といいますのは、最初のお話の中には、必要な分だけの情報があって、もし含まれていないものがあれば、それは必要のない情報であるということです。
ですから、鑑定盤もそのままに示しています。
もう少し実例を集めたいのですが、唖然としています。