地相でも家相でも、何においても上下があります。
神社でも寺院にも、神だなにも仏壇にもあります。
一番わかりやすいのが、お寺さんで僧侶がたくさん参加される法要を見ることです。
お堂に入って座る時に、一番偉いと見えるような人がどこに座るのか。
その位置が一番の上座になるわけです。
それを基本にしながら、お墓参りにしても仏壇祭りにしてもすればいいということですね。
神事はそれの反対になります。
西洋人と輪廻
『5000年時空の旅』(きこ書房)という本を読みました。
この著者はイギリスの方で、小さい頃から前世と思われる記憶があるというそのお話です。
この手の話は、日本などでも報告されておりますが、直近の記憶が近いこともあって、まだ生存者がおり、その方と出会うという場面も書いてありました。
内容を全部信じるわけにもいきませんんし、証明のしようもありませんが、輪廻を認めないキリスト教文化圏で話題になっているというので、興味を持ちました。
確かに、ホロスコープを使って、前世を見るという方法があるそうです。
「チベットの死者の書」が翻訳されてから数十年、すでに西洋では輪廻がポピュラーになっているということなのでしょう。
途中を観察する
方位を取ろうと思って、いろいろな場所に行きます。
田舎は別ですが、電車などに乗っていくことがあります。
そのときに、電車なら電車の中で何があるのかをさりげなく観察します。
学生が多いとか、おしゃべり軍団がいるとか。
いやなことがなければいいのですが、少しでもひっかかることがあるときには、その方位取りには注意をします。
よい方位に行ってそういういやなことがあるのか、という疑問もあるでしょうが、いつも完全にいくというわけでもありません。
易は徹底的に
干支九星が当然基本です。
しかしながら、どれがいいかというように、多数の中から一つを探すには不得手な部分があります。
そのために、易を併用することがあります。
そしてその易も一度で済む場合はいいですが、何度にもなることがあります。
その時には、納得できるまで、占的を変えながら、徹底的に求めるべきだと思います。
要は、どんな方法であれ、お客さんがよくなればいいわけですので。
確率的に
この世界のことをやっておりますと、どうしても見えない世界の話もあります。
それが正しいのかどうか、検証しようがありません。
結果的に、答えが出ているということは、それでいいのではないかと結論するしかありません。
確率的には、いいということなのでしょう。
もちろん、干支九星をしっかりと見る事ができないといけないわけですが。
読みにくい名前
年度末から始めにかけて、人の名前に接することが多いです。
その中で気になるのが、読みにくい名前が多いことです。
法律では、どんな名前と漢字でもいいことになっており、それに異を唱えるつもりはありません。
しかし昔の姓名判断の本には、避けるべきものとして、読みにくい名前というのがあります。
特にあまりにも奇抜すぎるのは、ご本人でもいやだと思います。
時代といえば時代ですが、基本は押さえたいものです。