干支九星術のお話

望月治先生の広められた干支九星のあれこれを、沙門慶仁がお話しいたします。干支九星術 沙門室(月恩会)参照のこと。

改めて名前を

 姓名判断は、干支九星と関係ないという考えは違います。
 同じように数字を使うからです。
 かといって、画数だけを問題にしているのではありません。
 それは、姓名判断をなさる、多くの流派でも同じでしょう。
 いろいろな要素を考える中で、それこそ親が子供につけるように、めでたい名前かどうかも考えることがあります。
 当然ながら、意味不明な名前とか、悪くとらえられるような名前は避けます。
 しかし最近、流行している名前の中に、タブー文字の人が多いのも気になります。
 また、文字全体を考えてその人の一生を考えるということもあります。
 今夜、その意味を強く考えています。

コロナの一年

 あと数字で、令和2年が終わります。
 どう考えても、今年は新型コロナウイルスの影響が大きかったでしょう。
 コロナで世界が一変しました。
 今まで常識と思われていることが、全然うそだということもあります。
 今までできていたことが、全くできなくなりました。
 人と話するときだけでなく、外出時もマスクをするように言われています。
 一体どうしてこうなってしまったのか。
 私たちは、常にアンテナを高くして、正しい情報だけは取らないといけません。
 干支九星的には、8白の作用が強く出ているとしていいでしょう。

気学という名前の実践

 干支九星を標ぼうしていますので、気学という名前は使っていません。
 内容が違うのですから当然ですが、それでも重複している箇所もあります。
 九星の部分だとはいえ、そのネーミングに感心いたします。
 気持ちの気でもありますが、雰囲気の気でもあります。
 実際に何事かを動かす場合には、何かが動くのです。
 その何かを気という名前で呼ぶ、というのでしたら納得です。
 そしてその何かが動いて、実際に動いていく様子は、気と呼ぶのにふさわしいものです。
 この気を動かせば、何かが変わると思わせるに十分です。
 私たちは干支九星を使って、気学を実践していきます。

禁足地に入ること

 人生の出来事で、誕生による計算では出ないことがあります。
 例えば、悪い方位を使ってしまい、災いになることなどです。
 確かに凶運気のときには、よい方位をとれないということはあります。
 しかし実際に、方位を使うかどうかまでは、流年法では出ません。
 吉方位を意図的にとるということはありますが、悪い方位に意図的に行くことはありません。
 しかし間違って行ってしまったような場合には、災いを受けないように注意すべきです。
 たとえば、禁足地などには、入らないことです。
 禁足地は、理由があってそういう表示がされているものです。

西洋人の星

 どうも理解できないことがあります。
 西洋で生まれた人の星を出すのに、東洋の暦を使っている場合があることです。
 実際に合っているようだからいいじゃないか、という議論もあるかもしれません。
 しかし、とてもではないけれど検証できているとは思えません。
 まず、時差があるでしょう。そこには経度の差もあります。
 かつ、暦が東洋を中心にして出されていますので、西洋人に当てはまるかどうか、わかりません。
 それでもって西洋の人の星を出して、ああだこうだはこわくて言えません。
 せいぜい生まれた年くらいが許容範囲でしょう。
 今、日本から西洋にいった人の星がどうなるかは見ています。

五行の神

 私たちが行っているのは、五行思想ですが、その五行は、味とか音とか色とか、様々に分類されて五種類として教えられています。
 そもそもが、中国でできた思想ですので、音程なども、日本にない、理解できない思想が入っています。
 逆に中国になくて、日本にある五行思想もあります。
 例えば、五行で表示される神です。
 その神には、日本国有の神名がついており、様々な形で信仰されています。
 そこで私たちの行っている五行思想が絡んでまいります。
 私たちの必要な五行などは、その神々を探して、求めていくのも一つの方法でしょう。
 ですから、五行の神の祀られている神社は、注意しておくべきです。

500円の弁当

 時間もないまま、さて昼食はどうしようかと迷っておりました。
 地下鉄から出ると目の前に、弁当屋さんがいます。
 どうしてその場所にいるのかは知りませんが、往来のある場所を探して出しているのでしょう。
 売っているのは、60代くらいと思われる男性です。
 あまり路上で吟味するのもどうかと思いましたので、適当にこれくださいといって全部が500円の弁当の一つを買いました。
 もう1時近いのに、たくさん残っていました。
 「ありがとうございます」という声に、このコロナの時代の悲哀の一端を感じ、国民のもう少しの踏ん張りを祈らざるを得ませんでした。
 子の7赤月、丑の5黄の日のことです。