私たちのしていることは、ある種の宗教でないような宗教です。
といいますのは、易神をお呼びしてお答えをいただくからです。
そうでなければ、人生ゲームのすごろくと同じになってしまいます。
もちろん偶発的にあちらから教えてもらうこともあります。
これは、神意をあちらが示してくださっているから可能なのです。
テーブルの上に神意をいただくには、それ相当の礼儀というか、心構えが必要です。
ですから、簡単なことには、明瞭すぎることには、お答えいただけないのです。
いや、これは私の信じていること。他の易者の方がどう思っておられるかは、全く知りませんし、関心がありません。