日本には、淘宮術というのがあります。
生年月日に基づいて、その人が受胎した日を調べ、それでもって性格の判断をするのです。
しかし一般に言われている十月十日というのは違います。
違うというのは、生理学的に、医学的に違うという判断をしているのではありません。
淘宮的にいいますと、違うというのです。
淘宮では、どうも肉体が入った日と、魂が宿った日を違い日と考えているようです。
そしてその精神の宿った日をもって、受胎の日として計算しているのです。
これがなかなか興味ある箇所であり、おそらく経験則の積み重ねでもって作られたものなのでしょう。
ですから価値あるものなのです。