私たち易をする者は、人をよき方向に導かなくてはなりません。
そのためには、その人を見て、不足している部分を補うように指導するわけです。
それが、星的に不足しているのは一時的にでも補えますが、心の部分になりますと、これは手間がかかります。
それは自発的でなくてはなりません。自分が気がつくまでということになります。
手を合わせて神仏に祈るという姿です。こちらにもっていくわけです。
特定の宗教をすすめるのはどうかと思いますが、手をわせる姿勢は大切です。
その気持ちが、指導のあとで、さらにまた問題が起こったときに、役立つわけです。
苦境に出会ったことをきっかけとして、手を合わせる方向に導くのですね。