天津神の系統が、国津神の系統を制圧したということですが、いわばそういう征服・被征服の歴史というのは、どの国にもあるものです。
被征服された民族は、征服した民族を怨みに思うというのは、人間的な感情として当然のことであろうと思います。
しかし、その被征服民族である国津神が、徐々に世間に知られてくるということが、どういう意味があるのかという点であいまいな気がします。
単に恨みをはらすということであるならば、それはカルマの法則からしておかしいです。
歴史を抹殺された恨みというのもあると思います。それは人種問題とかよりももっと根深いものでしょう。
しかしそれだけではないように最近考えています。さてどうなのでしょう。