お客さんのお話をうかがって、帰ったあとで、禍が残る場合があります。
それを知るのには、むしょうにいらだったり、禍が入ってきたりすることで知ることができます。
今日は、お客さんが帰ったあとで瞑想をしてみました。
そうしますと、自分の意識ということもあるのですが、自分とは別の場所で、お客さんが話していた言葉がこだましているように聞こえました。
結局は、禍というだけではなくて、その方が思いを吐き出して、それが結局残ってその人は楽になるのでしょう。
その分だけ、こちらには残っていくわけです。
それをどう処分するか。鈍感だからいいというのではありません。敏感な人にも、鈍感な人にも、お客さんのお話をお聞きしたら、必ず何かが残るのです。易者はそれとの勝負です。