あらためて陰陽五要奇書を読んでみますと、よくぞここまで調べたと関心してしまいます。
西晋の時代の書物ですから、その時代にはすでに、あれだけの研究資料がそろっていたということです。
ばらばらに書いてありますが、多くの実例から一つの法則を見出し、それから別の法則を見つけ出したのでしょう。
方鑑の盤には、ごちゃごちゃと書いてありますが、その盤にある一つを取りだすという作業はどれだけ大変であったかと不思議に思います。
あるいは先に仮説があって、それに基づいて検証したとも考えられます。
どちらにしても、古代中国人はすごいものを残してくれたと思います。
もしこの書物が易神に聞いて書かれたとするならば、その時点で神仏の残してくれた書であって、人間の作ではないことになります。