易というのは、言葉によって人の人生を左右してしまいます。
従いまして、人に何かを言う前に、自分がどうなのかを見つめて、それから人さまにお話しなくてはなりません。こういうネットの情報も同様です。
それをせずに、単に技術を学んだからといって話しをするとか、あるいは場合によっては、一般人以下の人格の者が説教をしている姿とかを見ます。
そういう人は、この易にかかわったからこそ、トガメが大きいものです。
ですから、何を中心に考えるかというと、本当に人さまのためになっているのかどうかを考えるべきです。それに自分の心が少しでも恥じたならば、潔く易をやめるべきです。
それができない人は、おそらく人生を終えるまで、あるいは終えたあとも易神からのペナルティーを受けるものと信じます。
これが単なる忠告で終わればいいですが。