易者をやっているのに、修行をするというのは何事だという考えもあろうかと思います。
易者は宗教家ではないので、別の問題だという意見もあります。
もちろんそうであろうと思います。
しかし相談者を本当によくしてあげようと思ったならば、どうしても宗教的な話しをしなくてはならなくなります。
そしてその場合には、言葉だけではだめであって、同じように宗教的な感覚を持たなくてはならないのです。そうしませんと、指導に迷いが出ます。
そういう意味から考えると、すべての易者は修行者でもあると言えます。
それをしていない易者は、どの程度の指導ができるのか疑問です。