干支九星術のお話

望月治先生の広められた干支九星のあれこれを、沙門慶仁がお話しいたします。干支九星術 沙門室(月恩会)参照のこと。

さらっと書いてある

 先生の本を読んでおりますと、いままで見たことないようなことが、時々さらっと書いてあります。
 一体何事かと頭をひねるのですが、そういう箇所は要注意です。
 全く新しい秘伝のようなものが、書いてあるのかもしれません。
 そいう箇所を見つけましたら、実証してみるべきで、うまくいくならばそれは大切に使うべきです。
 ただしその説が、本当にどう扱うべきなのか探ってられる場合もあります。
 そのためにこちらも勉強が必要です。

現代の事象ではない

 人間は表面だけを見ていては、本質がわかりません。
 一緒になって暮らしてみて、わかることも多いです。
 いやもしかして、晩年になってもわからないことがあるのかもしれません。
 だからこそ、結婚などの場合には、最初に同棲してみて相手を知ってから結婚するのがいい、という風潮なのだそうです。
 それが合理的のようにも思えますが、同棲した段階で結婚した事象は生じます。
 現代人と古代人の、考え方の相違がそのまま出るということでしょう。

細かな箇所

 易に神がおられて、それを易神と呼ぶのでしたら、易神は非常に微細であることがあります。
 一つのことを拝見しようとして、その最初の情報にどれだけのものが含まれているかを、易神はご存知のようです。
 といいますのは、最初のお話の中には、必要な分だけの情報があって、もし含まれていないものがあれば、それは必要のない情報であるということです。
 ですから、鑑定盤もそのままに示しています。
 もう少し実例を集めたいのですが、唖然としています。

鑑定は大切なのだが

 ブースに入っている占い師さんに、様子を聞きしました。
 と、連休中は本当に忙しい日々だった。お昼を食べる時間もない、ということでした。
 それはそれで結構なのですが、食事時間もないほど忙しいということなのでしょう。
 その時の判断がずれないか気になります。
 人間の集中力は、そう長くは続かないものです。
 そこを踏ん張って、新しい勉強をするの難しいでしょう。
 鑑定は一番の基礎ですが、そこまで多人数を相手にすると、吉凶両面がでます。

無慈悲な占い師

 私たちがお客さんと向き合うときに、できれば慈悲の心を持つべきです。
 しかし、同情心を持つと失敗いたします。
 ですから、あまり心を動かさず、淡々と鑑定すべきです。
 そして奥底に、相手を何とかしてあげようという心を秘すべきです。
 ところが、最初から相手様を何とかしようとも思わず、ただ技術を使って、当たっただろうと勝ち誇ろ、そういう占い師がいます。
 技術は持っていたとしても、あってはいけない人であり、技術がある分、害悪のある人たちです。

宗教と易の包摂

 易をやっている人で、宗教をやっている人はそう多くはないでしょうが、宗教や呪術をしている人で、易をやる人は多いです。
 ではなぜ、易を宗教が覆うのでしょうか。
 おそらく、宗教者というもののもつ特性なのだと思います。
 宗教家には、人様を救うという気持ちが根本にある人が多いのでしょうから、その延長線上として易があるのだと思います。
 それに対して易のみをしている人は、人様のためとは思っても、方法論が違うのだと思います。
 もちろん、どちらがいいということはありません。

真心が通用する世界

 世の中、何が起こっているかわかりません。
 いやいや、裏の世界とかそういうのではなくて、日常生活の中に想像もできないことが起こっているものです。
 人間の常識とか、科学とか、知識とかだけでは解決のできないものです。
 そういうことも含めて、あり得るということを前提にお客様とお話をしないと失敗しますし、解決できません。
 とはいっても、良心とか道徳とか、真心とかそいうものが最後には通用しますので、いかに生きるかを考えていれば、はずれることはありません。